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Mondo Grosso『ラビリンス』【ストレンジャーのように彼女は「誰か」の視線を待っている】

あえて具体名は出さないものの、これからの活躍や展開なども楽しみだったDJやサウンドメイカーの逝去が近年は相次いでいて、しかも、ある程度の天寿だったらいいものの、それなりの若さで声をうしなってしまう。ハードな環境で新たな何かを紡ぎあげてゆくのはどうしても大変でしかないが、今回、大沢伸一は6枚目のフル・レングスとして『何度でも新しく生まれる』といういかにもなタイトルとともに、モンド・グロッソ名義で新作を出した。こういうのはなんだか嬉しく響く。14年振り、全曲日本詞、そして、かなりの多様な客演者にあふれている。00年のあの、もうbirdとの「LIFE」がFMから機内放送から聞かなかったときはなかったことを想うと、その時間軸に感慨深くもなるが、再びbirdも参加しながら、先行として話題になったのはこの「ラビリンス」だった。当初は誰が歌っているのかというのもありながら、公開されたMVにおける見事なまでのエレガンス。そして、モンド・グロッソのビートメイクは艶やかで美しかった。

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「香港」という街は奥に入り込むほどに前後不覚になる。知っているお店が出てきて、ふと、「ああ。」と思ったりしたり。

自然が、そこにあるようで法則性があるようで、変化のなかで成り立っている景色の中で目を光らせる人たちの生活群が押し寄せてくるのもある。ときに、誘惑で、ときに、親しげに。初めも、終わりもない、今や女優としての確固たる位置にいる満島ひかりが香港の“ある”場所を蝶のように、しなやかに舞い、フラットに世俗に介入し割り込んでゆく。間延びした日常にあくまで“部“外者として。

そこに、例の大沢伸一のあのファットで繊細なダンス・ビート、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦の詩が『ラビリンス』という名に相応しく、艶めかしく聴き手たる第三者(匿名者たち)を手招く。ラブソングのような歌、そういうには恋に落ちるほどに重力から無化されるように踊る満島女史の姿がふと視界からはずれて、また、戻ってくる。

猥雑な街に舞うパラドキシカルなダンス・ミュージックに、不可能なそこに現象体が「ある」というアフォーダンスを高照度でハレーションさせたという意味性で、世界中の誰かが観ても、恋に落ちた後の、あの抜け道のなさと混沌をここまで叮嚀に描いている曲はないだろうとさえ思う。ほの暗さから夜になる香港の雑踏に、ストレンジャーのように彼女は「誰か」の視線を待っている。もうそれだけで十二分に、時代背景やいつかの風営法がややこしくない時期のクラブでディスコ、テクノで踊り明かした夜など昇華してしまう。そこまで恋に落ちる夜は深くなく、浅くこんがらがっているという文脈も込めて。迷宮入りする心のようにもどかしく心の琴線に伝う。

      迷い込んで 白夜のように

それでも。
白夜の迷い込む夜のためにこういう音楽がないといけないと思う。

(2017.6.22) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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review, 松浦達

Posted by musipl