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ズーカラデル『漂流劇団』【この曲のような立ち位置と強さとポップネス】

軽快なテンポで展開するポップミュージック。しかし歌われていることは結構シビアで沁みる。表面的にはそんなに売れないバンド人生に突入してどうやったらもっと良い状況に移行できるんだろうかという悩みを、彷徨う日々の中で吐露するようなもので、しかしバンドをやっていない人もそれに漠然と共感できるのは、若者世代に特に広く浸透している「嘘の国」というイメージがあるからではないだろうか。右も左も地獄の入口と歌っているが、じゃあその入口を通って進んだ地獄が特別に現状と違った場所なのではなくて、実は真綿で徐々に首を絞めるようだけれどまだ絞められていると自覚できるほどの苦しさはないという程度の世界で、だから実は入口のこちら側である場所と向う側の地獄とを分けているのは単にその「入口」のどちらサイドなのかという区別でしかない、その区別のこちら側にいるということで安堵しているだけで。その安堵の仕方が既に地獄っぽい、そんな現実は既にそこここに存在しているのではないかとうっすら感じて切ない。

ズーカラデルという北海道出身のバンドはポップな曲調に、切れの良いというわけではないボーカルを乗せ、イケメン揃いとはとてもいえないメンバーが演奏している。いくつか聴いた曲は自虐的とまではいえないけれども、自信満々の人生とはとてもいえないようなナイーブな歌詞を展開していた。先月MVが公開された『ダンサーインザルーム』はきらびやかなイルミネーションの中でそこそこオシャレな感じで演奏していて、ナイーブな歌詞世界よりもポップさが勝っている印象で、正直一発でグッときたとは言い難かった。しかしこのMVでは彼らの心の中に在る苦悩みたいなものがストレートに前に出ていて、切れの良いわけではないボーカルだからこその不器用に訴える力が相乗効果のようになってて、とても良かった。もちろんこのナイーブな世界観を例えばフォークギター1本で歌ったりされたら聴いてる側もどんよりしそうなのだが、このポップなサウンドに支えられているから、ナイーブという表現がフィットするようなバランスが生まれているのだと思う。2015年に結成し現バンド名になってから1年ちょっとの彼らが、まだ自分たちの核となるスタイルを確立している訳ではないのだろうし、曲によって雰囲気が違うのは当然だが、この曲のような立ち位置と強さとポップネスという組み合わせは彼らにとって今後のひとつの道標になっていくのではないかと思ったりする。

(2018.12.10) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl