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Spangle call Lilli line『mio』【その影響をあからさまではなく、濃霧のような音像にアートとして溶かして】

今でさえそのプロジェクトのために様々なメンバーたちが集まって一つのオブジェのような何かを作るというのは珍しくなく、インスタレーションとしての表象行為として音楽がライヴでの再現可能性を迂回して成り立つこともある。即興とポスト・プロダクション、サウンド・レイヤーの妙、タイトルから示唆させるイメージなどひとつの芸術作品の趣きを持ちながら、思えば、1960年代以降のミニマル・ミュージックに私的に入れ込んでいたとき、ラ・モンテ・ヤングやマイケル・ナイマン、エリック・サティの後期作品の一部などには静寂の中に揺れる波のように音があり、その音が不思議な心地良さとこんがらがった頭の中のアポートを起こしてくれたりした。

トータス、ハイ・ラマズ、ステレオラヴなど90年代後半に盛り上がったポスト・ロックの名称下でのバンドの「その後」を思えば、今、“ポスト~“とは至って不明瞭で、トータスの『TNT』、ガスター・デル・ソル『カモフルーア』辺りがその代表的作品になるのだろうが、トータスは周知のとおり、その後、ライヴも素晴らしいバンドで、頑ななスタジオ・バンドではなかった。また、モグワイやシガー・ロス、バトルスなど世界中のオルタナティヴなバンドはもはや何かしらのカテゴリーの中で動いている訳ではなく、Spangle call Lilli lineも結成20周年を迎えながら、飄然とマイペースに、スピードを上げるわけではなく、一時期はポスト・ロックの枠などにも入っていたが、今では彼ら独自のポジションを築き上げ、同業者からのリスペクトも多い。アルバム・タイトルは『Dreams Never End』。ピンと来る人も多いだろう。ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーになってからの初のアルバム『ムーヴメント』の実質的な一曲目のタイトルが「Dreams Never End」。

澄み切った彼らの音と、大坪加奈のしとやかで透徹な声が絡み合う彼らの音風景はいつもながら、今作はより引き算の上でのコンパクトな印象も受ける。多様な曲があるものの、グッとフォーカスが絞られて、滑らかで上質な絹の上を舞い、そこにザ・なつやすみバンドのMC.sirafuのスティール・パン、トランペットの音がエキゾティックな風を吹かせる「so as not to」や変拍子とファンクネスが気持ちいい小品「touei」、彼ら流のポップ・ソング「sai」、MVのようにゆっくり歩いているリズムと曲の展開が平熱のままにふわりと変わるところや反復と差異をベースに6分をあっという間に聴かせる「mio」といい、シームレスに進むかのようで、最後のボーナス・トラック的な意味合いで先行の7インチ・シングルに入っていたナカコーとのコラボレーション「therefore」も思わず良作の相好を崩す。変わっていないようで、変わっているとは手垢がついた言い回しだが、多くの意匠が深めのリヴァーヴの中で柔和にほぐれる。

インタビューで彼らも、2015年リリースの『ghost is dead』と今作はバックグラウンドとしての情報量はすごく持っている作品だが、どれだけ削ぎ落したものにできるかという美学について言及している。(参考:CINRA NET Spangle call Lilli lineの美学 20年消費されなかった秘密を探る)40分ほどという内容とリヴァーヴが深めの音と彼らの美学がシンプルなものを求めた結果なのか、あっという間に聴き、通り過ぎてしまう。そして、また最初に戻ろうとしようとすると、20年の歳月の中で自身が聴いてきたアーティストなどの音が思い浮かんでは、その音も聴き返してみたくなる。ペイル・ファウティンズ、ザ・スミス、アズテック・カメラ、トーキング・ヘッズ、ザ・スタイル・カウンシル、ステレオラヴ、コーネリアスなどなど尽きず。でも、彼らはその影響をあからさまではなく、濃霧のような音像にアートとして溶かしてゆく。いいバンドがこうしていい作品を届けてくれる、それだけで心救われることがある。フェスやライヴで盛り上がる速くて過度に情報量が多くて、声が大きい音楽ももちろん必要だけど、たまにはこういう音楽もどうだろうか。

(2019.2.8) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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Posted by musipl