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konoko『エンカウント』【次々とぶつけられるごろっとした感情や何かをそのまま浴びるということ】

剥き出しな音楽だ。サウンド的には様々な要素が混ざっていて、わかりやすい音楽にするのならいろいろと方法があるだろうし、そう感じているプロも多いだろう。聴いていて、ああ、ここをこうすればいいのにと思う点はいくつもある。ただ、それが正解であるということでもないし、そもそもわかりやすい音楽にすることが唯一の答えなんかではないのであって、「別にわかりやすくなんてしたいとは思っていないんだよ」というのであれば、それはひとつの潔さだ。サウンド的な交通整理はある意味テクニカルなものであって、それ以上でもそれ以下でもない。では例えばそういう「プロ」が現れて、わかりやすい音楽に仕立て上げたとして、それが彼らの感情の迸りまで交通整理できるのかというと、そんなことは無理だろうと思わずにはいられない。このラップのようなつぶやきのような歌は、リスナーが理解しようとするのをシャットアウトしているようにさえ聴こえる。日本人バンドが下手な英語の歌詞で歌うことで生じるような理解へのハードルとは違った種類の、理解を拒む主張。もしかすると作って歌っている彼ら自身も本当の主張が何なのかは正確には理解していないのではないかとさえ思う。そういうと非難しているように受け取られるかもしれないが、そうではない。普通の人だって、大人であろうと子供であろうと、自分が何を考えているのか、何を訴えたいと思っているのか、そういったことが明確に整理されているケースは稀であって、そういう意味ではむしろ何を主張したいのかがわからないという状態こそが、実は普遍的な心の在り様なのだと思う。じゃあ整理されてない、まとまりのない考えや感情や不満や願いというものには価値がないのか。いや、そんなことはないだろう。もちろん、整理されていてまとまっていた方がその主張は伝わりやすいし影響力を持ちやすい。だが、わかりやすくまとめていくという作業によって、枝葉のような主張はどんどん切り捨てられ、まるで無かったかのようにされてしまう。もちろんその方が第三者に伝わりやすいし、共感を呼びやすいのだ。だけどそのために切り捨てられた感情や想いのことを考えると、わかりやすくないということにも価値はあるんじゃないだろうかと思うことはよくある。この曲を聴いていて、サウンド的にも歌詞的にも発声的にも曲の構成的にもいろいろとぶつかっているような印象はあるけれども、それらすべてによって初めて表現できる怒りのようなものもあるんだなあと思わされる。いくつかの感情を心の奥に押し留めておこうというような配慮がされていないことが、却って新鮮でインパクトを持っている。いいな、いいぞ。わかりにくいしストンとこないけれども、この剥き出しの遠慮のなさが、聴いていて結構心地良い。別にこの中に唯一のテーマとか主たる主張みたいなものを求めることが解釈なのではなくて、次々とぶつけられるごろっとした感情や何かをそのまま浴びるということ自体が、鑑賞なのではないかとさえ思えてくる。

(2019.9.9) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl