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春がふる『言葉は』【そして丁寧に選ばれた言葉をこそ大切にしていける年になれば】

仙台を拠点に活動するバンド、春がふるを約2年ぶりに。前回紹介した時に延々と続くループのような曲調の新鮮さ斬新さに驚いたわけだが、今回の曲も基本はまったく変わらず、延々と淡々と粛々とループするように展開していく。面白い。とても面白い。

『言葉は』という曲に託されたのは気持ちと言葉の関係性。本がぎっしりと並べられた本棚の前で歌う言葉の歌。毎日のように音楽について言葉を紡ぐことをしている僕としては、そうそう、言葉って面白いよなあと思う。

日本には古来和歌や俳句という定型詩があって、ひとつのフォーマットに沿って表現することを得意としてきた。なぜそんな不自由な型にはまることでしか表現ができないのかと思ってきた。が、よくよく考えたら自由なポップミュージックにしても、サビだのAメロだのといった「型」に従って言葉を選んで当てはめているのであって、あれも広義の定型詩なんじゃないかという気がする。その点、常にループしているだけのような春がふるの歌は、多くのポップスとは違った不定型詩なのかもしれない。自由といえば聞こえはいいし、無条件に礼賛されがちだが、実際には自由はしんどい。何もかも自分で決めなければならないし、決める以上そこに理由が求められる。普通とは違った何かを指向するだけでその理由は何かと問われる。それだったらいっそ普通のポップスをやっていれば楽だろうに。でも本当に楽なだけを望むのなら、そもそも表現なんてやらなきゃいいだけだ。

彼らの自由な曲には自由だからこその責任や強い意志が要求され、そのためにひとつひとつのサウンドや言葉を丁寧に丁寧に選びながら表現活動を続けているのだろう。それはもちろんアーチストの表現活動だけのことではなく、日々の普通の人のコミュニケーションにも活かされるべきだ。最近は大柄な言葉をインパクトのためのみにわざと選んでページビューとやらを稼ごうとする人が多くて、どうしてもその流れに社会が引きずられて行く。だからこそ、すべての人がひとつひとつの言葉を丁寧に選び、そして丁寧に選ばれた言葉をこそ大切にしていける、そんな来年になればと願ってしまう。

(2019.12.30) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二, 春がふる

Posted by musipl