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KICK THE CAN CREW『千%』【もっと単位を変えてみたらまた歩み直せる気がしてならない】

個人的な感慨に過ぎないかもしれないが、あわててフィナーレよりカーテンコールを求める方がいいと思えるように、きっと世界、日本遺産を巡る感動が以前ほどなくなってゆくのは、遺産を愛でるならば、今の進行形で失われてしまう触感の下でのものを詩性で味わっていけば、嚥下されると思っているからで、例えば、あの、空港でのチェックインまでの昂揚と待ち時間とフライト後の惰性はどこかセクシャルな意味での疲弊と滞留を残すように、それはとても移動の「ために」捧げられるシニフィエとしての花瓶を夢想する。今はアレルギーや諸問題で生きた花を預託できない場所が増えてきて、でも、花瓶は捨てられず、ずっと在ったりする。定離で切り取り線を入れて、分けられる現実などそう多くない。僕らにとってのこの世界は半分ずつではない。シェアしようと割ったものがいびつに分かれてしまうみたく、均等も平等もなければ、不条理で片付けられるには条理がしっかりはしていない。

KICK THE CAN CREWも再始動するみたく、私的に、彼らのリアルタイムな印象では毀誉褒貶を受けながらもストリートから、また、ヒップホップを大衆性の真ん中に、ポップネスの中に溶かしながら、肥大する商業主義の中でひたすら闘いながら疲弊していったような感じが強い。きっとリリース・ペースや求められるものの大きさがありすぎたのだろうか。

その後、ソロでも特に大きくブレイクするKREVAの在り方、またメンバーのMCU、LITTLEの堅実な活動を思うと、この“三人”でまた始める曲がこういうもので良かったと思う。「イツナロウバ(It’s Not Over)」のバレアリックな開放感が好きだった身としては、彼らは夏休みや遊びの延長を生きるグループだった気がして、巷間でも有名な山下達郎の佳曲をサンプリングした「クリスマスイヴRap」や「マルシェ」なども含め、刹那さへの覚悟さえがよぎるその後の流れの凝縮された活動は改めて聴き直してみると、過剰で、でも、今はもっと過剰で、消費される勢いも早いので、まだいい時代だと言えば言えるのかもしれない。

知っている場所がどんどん封鎖されていったり、荒れ果ててゆく。またなくなれば記憶の中で再現できるが、その記憶より現実で触れようとした途端に気泡に帰す瀬で、巷間に言われるような夏休みは長ければ長いほど大人だけではなく、子供も困るのではないかというのは逆で、もっと休めばいいと思う。疲れたら。休んでみて始めようとしたら、視界が変わる可能性もある。気になっていたどこかに行ってみてもいい。行ってみたら、そこになったり、合わなかったら、またここに戻ってくればいい。

このMV内ではダイバーシティを体現しているようにこの時代のメタファーがあまた記号で出てくる。近年、かまびすしかったダイバーシティ・インクルージョンがどこか空疎な掛け声や排除型志向に変わっているような「気がする」人がいるなら、きっと単位を変えてみていないだけで、その単位を変えてみれば、そう満更でもない共存ができる多様性が出てくる。この彼らの曲でのやり残した感がないと言えるモード、前へ進もうとする空気、どこかファニーなムードまでサヴァイヴするのが満更でもないための明日の天気予報を教えてくれるみたく良い。

   今言える 言えてる
   あの日もあの日も俺の本気は嘘じゃない

“100パーセント”なんてないから、この曲タイトルのように、そのもっと単位を変えてみたらまた歩み直せる気がしてならない。闘い、いがみ合うよりそれぞれの単位を互換できる未来になるように願いながら、こういう過剰はむしろ過剰じゃなくフラットだと思う。

(2017.7.29) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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review, 松浦達

Posted by musipl