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GRAPEVINE『Alright』【必要なのはともに笑える大丈夫な人たちとのか細い時間だ】

ホーン・セクションの華やぎ、問いを投げかけるような歌詞の下でうねるグルーヴ。ポップネス、そして、フェイセズ、ストーンズ、ウィルコなどから通じるブルージーな重さと、どこか乾いたサイケデリックな音像。今では珍しくなったほどの”ロック・バンドとして”の音。細部や余計な御託を抜きに、GRAPEVINEとして、そして、今の時代に聴くべきひとつの曲としても「Alright」はとてもいい。多幸感と軽快さが宿るムード、香港でのMVの雰囲気合わせて抜けが良く、ふわっとリフトアップさせてくれる。どこか閉じた場所での権利主張と、そこに入り込む郵便性、一方通行のままで解釈・誤解釈される表現が多くなる中で、“とりあえず、大丈夫.“といかないのは監視していたかのように思えたそこに誰もいなかったりするからで、「再見」と手を振る行為さえ酷なのかもしれない。

退屈と、虚無の先に蠢く有象無象に向けての抗いをただ音に乗せて、またはシェルターにこもるように「ぼくら」という属性のか細さをなぞり、サイケデリックにステージの色を変え、都度のアルバムでは、反骨と実験性が色濃くなりながらストレートで衒いのない曲も増えた。近年の『愚かな者の語ること』、『Burning Trees』、『Babel,Babel』、『ROADSIDE PROPHET』のオリジナル・アルバムの流れと内容には円熟味と好戦性が拮抗した良作ばかりで、更に、この祝砲のような「Alright」を経ての『ALL THE LIGHT』はイロニーも反骨精神も越えて、彼らの既存のファン以外にも“いい音楽“として届くのではないか、と思う。

どこか遠くの誰かを叩きのめしたり、同調圧力の賛美に凝り固まって神経痛になったり、情報量の暴飲暴食で胸焼けがしたり、正解を探し求めすぎたり、炎上の中身は推し量らず、覗いてみたり。また、あくまであらゆる前線で、前線で代弁者は何かしらのフェイクを流布する。人称はなくなったままに。

それより、涼しき佇まいで現実を掻き分けるフットワークも要る。彼らは「BABEL」という曲でこんなことを歌っていた。

   愛を植え付ける者
   立ちつ手と手を繋ぐ者は行こう
   最上へ さあ行こうか
   聞け酷使した者
   刺せ思想すら一端にぶら下げて行け 上げて行け

高みを見上げるたびに街の屋台や、露地がいとしくなる。地面を這って生きている身に今、必要なのは数年後の大行事やゴシップ、フェイク・ニュースに割く時間ではなく、イロニーを万華鏡から覗きこんでともに笑える大丈夫な人たちとのか細い時間だ。その時間は高みにはいかない。鋭くも僅かな生命の分だけ小さな幸福に塗れるだけで。

   夢は叶ったっけな
   仲間はどうしたっけな
   いざ青春の二次会のスタート
       (「Alright」)

(2019.1.12) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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GRAPEVINE, review, 松浦達

Posted by musipl