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レイラ『ふたりのせかい』
【不安の中の幸せという今の時代に決定的に必要なもの】

軽快なギターリフから始まるこの曲が、先に進むにつれてどんどんと壮大な印象に変わっていく。しかし一般的に壮大な印象を与える曲に共通している重さというものが一切無くて、心地良い。「世界が終わってしまっても」という歌詞には世紀末的な終末感があって、だからどことなく人類が滅亡した先の世界のようなものを思わせる。そのなかで「ふたり」は生き延びているわけだが、生き延びていることが当たり前のような軽さ、人類が絶望したというのにこのふたりなら生き延びていけるという楽観が、なぜだか信じられるムードがこの曲にはある。それは全体的にあまりヘビーな音作りをしていないということもあるし、ボーカルの有明が少しばかり突き放した感じの軽いテイストで歌っているということもあるのだろう。この歌い方、レイラを2年半ほど前に取り上げた時とはかなり違う印象を受けた。2年半前は「終始不機嫌な雰囲気のボーカル」と評していたのだった。曲自体も失恋した直後の相手に対する想いなので終始不機嫌で正解なのだが、感情を100%ぶつける感じの曲で、最適の歌い方をしたらそうなるのも当たり前なのだが、その歌い方をこの『ふたりのせかい』で用いたら、きっと雰囲気が変わってしまう。本当に終末感、世紀末感のダークネスに満ちてしまうだろうが、この曲では世紀末的世界観の中での希望が表現されていて、聴いていて多幸感に包まれる。このMVは2020年のカレンダーから始まって、曲が終わるところで2021年のカレンダーに交換される。YouTubeのコメント欄に「マスクをしたシーンを入れてくれてありがとう」というものがあり、ああ、この終末感は現在の新型コロナに覆われた地球の閉塞感とリンクしているのだなあとあらためて実感した。音楽は大なり小なり常に時代を映す鏡であり、昨年から多くのアーチストはこの閉塞感を表現してきた。そんな中で、この曲の持っている多幸感はとても貴重だ。新型コロナウィルスをまったく恐れようとしない人は一定層いて、そういう人たちが「平気だよ」と言うのは別に構わないけれど、多少なりともウィルスを恐れる人たちが、それでもなお幸せや喜びを感じるということとはまったく違うし、その不安の中の幸せというものが、今の時代には決定的に必要なものなんじゃないかと思う。その点で、この曲は本当に優れた時代を映す鏡のようだなあと嬉しくなった。

(2021.4.1) (レビュアー:大島栄二)


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review, レイラ, 大島栄二

Posted by musipl