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BUGY CRAXONE『ぼくたち わたしたち』【歳を経験を重ねていく人たちの音楽はひと味もふた味も】

BUGY CRAXONEを一言でいえば、不器用なバンドということだろう。すずきゆきこの特徴あるハスキーなボーカルがとても魅力的だし、サウンドもかなり硬派で、意識的にリスナーに届く曲を適切に出していけばもっと違った今になっていただろうと思うが、そんなプロデューサー的な視点ではおそらく考えることなく、自分たちの内から湧き出るものを音にしてパフォーマンスしつつメジャー時代を駆け抜けたのだろうと思う。何故そうなのか、もっと賢く音楽をやれよという声もあるだろうしビクターの人もそういうアドバイスもしただろうが、そういう周囲の声に素直に従って自分のものとは違う音楽をやるようでは、それはロックではなくなる。売れるための音楽をやれる人とやれない人がいる。同時に、自分の内から出てくるものが大多数の音楽ファンにとってストライクの音楽だという人と、ストライクではない人がいる。売れるために音楽をやらず、そして出てくるものがストライクではない場合どうすればいいのか。選択肢は、ロックを辞めるかロックであり続けるかだ。そして、BUGY CRAXONEはロックであり続けたんだろう。

このMVで久しぶりに彼らを見た。するとどうだろう。かつての様子とは一変してる。けっこうポップだ。前に響いてくる。かといって、ロックを捨てたというのではなく、長い音楽活動の中で、ロックであろうとするあまりに入っていた肩の力が抜けているような印象だ。これは良い。最初からこれやってれば良いのにと思わないわけではないが、辿るべき道程を経なければ到達しない場所というものもある。それにしても良いよなコレ。肩に力を入れて、触れあうものをすべて傷つけるような以前の彼らとは違う、音楽を通じてリスナーの心にダイレクトに飛び込んでいくような自然体がある。webサイトをみると今年で20周年とのこと。息が長いバンドだ。プロデューサーの言うことに全部従ってちょっとブレイクしてすぐに解散していくバンドも多い。そういうのに較べると、こうしてライブハウスを回りながら歳を経験を重ねていく人たちの音楽はひと味もふた味も違う。ライクアローリングストーンというのは、こういうへこたれない人たちの音楽にこそ似合うのだろうという気がする。

(2017.9.11) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl