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LILI LIMIT『LIB EP』【自由のようで自由ではない、今の時代の今の社会の中で生きること】

若い頃にディスコというのが流行って。友人たちもそこによく足を運んでいたようだが僕は1度も行ったことはない。スクリーンでトラボルタが踊っているのを見ても心ときめいたことはない。アメリカに行ったときにホテルのロビーにまだあどけない現地の少年たちが着飾って集っていたのを見たことがある。それがプロムというものだというのは後から知った。ハリウッド映画で若者たちが一緒に踊りに行くパートナーを見つけられなくて苦労するという、そのダンスパーティーのことだ。通ってた大学でもパー券というのを売るのに懸命な友人たちを何人か知っている。だが買ったことはない。踊りに行くというのが僕にはよく理解できなかったからだ。

踊りたい。それはどういう感情なんだろうか。

その代わり、ライブにはよく行った。音楽を浴びるという感覚はよく解る。音楽を浴びたのか、それとも音を浴びたのか。ビートを大きな音で浴びると、自然と身体が動く。それがダンスなのだろうか。しかしディスコの踊りには一定のステップがあるという。時に流行りのステップというものが生まれるという。ビートを浴びて、身体が自然に動くのなら、一定の決まったステップを意識して踏むというのは自然なことなのだろうか。

ディスコが廃れて、のちにクラブが登場する。仕事上何度か足を運んだことがある。だがフロアで踊るようなことはしない。アンビエントミュージックを作るミュージシャンから「大きめのクラブでは、身体を休めるためのフロアがあって、そこで踊らない人のための音楽を流すんだ」と説明をされたことがある。なるほどそうか。踊るための音楽と、踊らないための音楽と。それなら踊ることを強制されるディスコより何倍か良いな。でも待てよ。自分が踊ることを強制されるのがイヤなのだとしたら、踊らないフロアでは逆に踊らないことを強制されるのではないだろうか。アンビエントにも一定のビートはある。圧はなくともビートはある。そのビートに自然と身体が反応したらどうなんだろうか。その時に踊りたいと思ったら、踊ってもいいのだろうか、その場所で。

毎回の作品が衝撃的で問題意識を掻き立てられるLILI LIMIT。その最新動画ではディスコだかクラブだかで踊る人たちと、踊らない人とが映る。7分を超える、新作『LIB EP』のトレーラー的動画。収録された4曲を組み合わせられている。トレーラーでありながらもあたかも1曲のように感じられるのはEP全体に流れている彼らの背骨のようなものが意思を持っているからなのだろうか。それは、つかみたくてもうそこに手が届いているようにも思えるのに絶対に触れることの出来ない何かへの熱情と、裏腹な諦めのようだ。それが3曲目の「ENCLOSE」の一部、この動画の最後で繰り返される「enclose desire」という歌詞に端的に表現されている。4曲目の「FEEL IT」の冒頭では4拍のちょっと前に不自然なタイミングの音が鳴らされていて、違和感を覚え始めたところでノイズが組み込まれる。そんな中で「open your eyes」と繰り返される。自由のようで自由ではない、今の時代の今の社会の中で生きることの、リアルを見せつけられているようで切ない。

(2018.2.24) (レビュアー:大島栄二)


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LILI LIMIT, review, 大島栄二

Posted by musipl