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奥田民生『世界の終わり』【歳を取ったからといって失われてしまうようなものではない才能そのもの】

奥田民生は不思議な人だ。もちろん個人的なパーソナルなことを多少なりとも知っているわけじゃないけれど、日本の音楽シーンの中で特異な立ち位置で存在感をバシバシ発揮している。6年間の活動の後バンドUNICORNを解散し、15年以上ソロ活動をした後にUNICORNを再結成し、気がついたら再結成10周年だ。バンドとしての活動を精力的に続けているけれど、僕の中ではミュージシャン奥田民生だ。UNICORNはすごいバンドなんだけれど、やっぱり奥田民生なんだ。それは再結成して活動しているイエモンが吉井和哉ではなくてイエモンであることと真逆の何かで、UNICORNというよりも奥田民生としてどうしても見てしまう。そして、その独特の立ち位置というか、キャラクターが、井上陽水の自由さと重なって、個人的には平成の井上陽水だと思っている。いや、誰も賛同しないと思うけれど。それにもう平成じゃなくて令和なんだけれど。

奥田民生が球場ライブで弾き語りをし、そこでミッシェルの世界の終わりを歌う。コメント欄に「おじさんたちにとってはセカオワじゃなくてミッシェルの世界の終わりなんだ」という書込みがあって、そりゃあ奥田民生も完全におじさんだしなあとは思うが、そういう同世代のノスタルジー再現とかじゃなくて、ただ単に奥田民生のパフォーマンスと楽曲そのものの良さを、味わうべきだと思う。アコギ1本弾き語りだからミッシェルのパフォーマンスともサウンドともまったく違うが、たったギター1本なのにこの迫力。おっさんとなった奥田民生の風貌はお世辞にもロックスターという印象ではなく、その辺の居酒屋でくだ巻いている中年サラリーマンとどこが違うのだという感じなのだが、それでもこの演奏、パフォーマンス、迫力はなんだろうか。若手のすらっとした風貌のロックミュージシャンが束になっても敵いそうもない。これが貫禄というものだろうか。いや、歳を取ったことで獲得された何かではなく、彼が持っている才能そのものであり、それは歳を取ったからといって失われてしまうようなものではないということなのだろう。何度繰り返して観ても飽きることのない、圧巻の歌だ。

(2019.10.5) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl