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ガール椿『もうだめぽ』【その日への警告のような静かな強さで迫ってくる】

ガール椿久々に見た。前回のレビューが3年半前で、MVもずいぶんとなくて、当時のTwitterアカウントは消え去ってて、あれ以降にCDのリリースもない(多分)みたいで、まあ普通に考えたら解散とか活動停止とか、音楽やめちゃってるとかだろうけど、久々に届いたMVはとても静かで圧倒的な熱量に満ちていた。ここに出てくる薄毛のおっさんはボーカルの立木庸平なのだろうか。本人だろうが別人だろうがまあいいけど、普通に見たらバンドマンの末路のような哀愁に満ちていて、楽曲も演奏も哀愁にまみれていて。歌詞が縦長に表示されるのだけれど、それが途中でぼやけて、あれ、回線が遅いかなと勘違いさせられて、こっちまで哀愁に暮れてしまう。

バンドマンは最初に圧倒的な無謀な夢を見ることから始まる。強く想うヤツが成功を手にするんだとはよく言ったもので、そりゃそうだよ、あとちょっとのところで諦めるヤツと諦めずに頑張るヤツでは諦めないヤツが先に行くのはどんな世界だって同じことだよ。あとちょっとのところで諦めるヤツは日々の練習もスタジオ残り15分くらいでやめて帰っちゃうだろうし、その積み重ねが結果を大きく変えるのは当然のこと。だから、頑張れ頑張れと人はいうけど、頑張ったから全アスリートが五輪の金メダルを取れるのかというとそんなことはもちろんないよね。頑張ったから太平洋を泳いで渡れるかというとやっぱ無理だし。精神論で突破できることって限界はある。そのことに気付かずに頑張り続けて知らない間に売れないミュージシャン65歳とか、まあ普通にいたりします。そのことに気がついているのか、この曲はその日への警告のような静かな強さで迫ってくる。ガール椿相変わらずすごいな。あんまり凄すぎてて、こりゃ売れる気無いよねって思います。

とはいえ、誰が賢い生き方を上手に選べるのか。音楽が好きでたくさんレコードやCDを集めてきたのに今やストリーミングで聴き放題。いやいや音質が全然違うよと言ったって、再生する機械もどんどん無くなっていくし、そもそも音楽をちゃんと聴く時間がどんどん無くなっていく。若い頃に重要だった何かが数十年の時を経てまったく無意味になることはよくある話で、今こうやって作っているwebサイトが10年後に本当に有用なままでいられるのかって断言なんてできないよ。ほら、一時期懸命に作ってたFlashとかもう見られないんだし。

だから何もかもが無意味だとか言い始めると本当に生きている意味って何なのという問いにぶち当たってしまって悲しくなるしか無くなるので、そういうことからは目を逸らして目先の楽しいことばかりを追いながら刹那的に生きていくことが正解なのかもしれません。そうして楽しい点の時間を作り続けることで、人生は豊かになっていくのではないでしょうか。きっとそうです、たぶんそうです。もうだめぽなんて言って暗くなることこそ、人生の負け犬なんじゃないかと刹那的に思います。

(2019.11.18) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl