<!-- グーグルアナリスティック用のタグ -->

Karin.『命の使い方』【死にたいと考えている人の気持ちが本当にわかるのなら、その人はもうとっくに死んでしまっている】

死にたいと考えている人の気持ちが本当にわかるのなら、その人はもうとっくに死んでしまっているだろう。そしてそのとっくに死んでしまっている人たちが年間に万単位でいて、残される人たちにはどうしてもその理由がわからなくて。身近であればあるほど知りたいけれど結局わからなくて、そりゃそうだよ、わかってしまったらもうこの世に生き残ってなどいられないのだから。だから知りたくて努力するけれど、本音を言えば実は知りたくはないのだ。

とはいえ、死ぬ理由が完全にはつかみきれていないけれどなんとなくうっすら感じてて、死んだ方が良いんじゃないか的な想いを抱いてて、でも確信にはまだ至っていないからこの世でなんとか活動している。でも明日には、来週には、来月には確信に至って実行に移す。そういう予備軍的な人はそこそこいて。そういう人が実行に移す前になんとか踏みとどまるためには、やはり周囲もその予兆を察知できるようになった方がいいし、本人自身が客観的に自分を見られる方がいい。だからやっぱり死にたい人の気持ちや理由をわからないなりにも研究したり想像してみることにも意味があると思う。

Karin.というシンガーがどういう人なのかはよく知らないが、HPのBio欄を読むと本当の自分でいられる場所を探すために歌い始めた人らしい。なるほどなあと思う。様々な人がそれぞれの環境で状況で追い込まれていく。その時の抑圧された感覚はいろいろだろうけれど、それが限界点を超えるか超えないかのところで踏みとどまる人、踏みとどまれなかった人。両者を分けるのはほんのちょっとの偶然だったりする。人間関係が原因ならそこから逃げることで変われる。経済的困窮が原因ならなんらかの援助で脱することができる。そういったちょっとしたこと。もちろん本人にとってはちょっとしたことじゃない。また周囲がちょっとしたことと思ったとして、そのちょっとした援助ができるのかというと難しい。脱するのは他人が言うほど簡単ではなくて、だから追い込まれるし、追い込まれれば脱するための方法を考えることさえできなくなってしまう。Karin.さんが自分でいられる場所を探そうとしたということは、脱するための方法を考える余力は残っていたということだろう。ほとんど同じような状況の人が考える余力を持ち得なくなってしまったり、そもそも考える能力に欠けていたりで結果的に脱することができず命を絶つことはある。本当にその違いは紙一重だ。彼女が歌う「でも、でも、生きる理由が欲しい」という歌詞に、まだまだ希望を持ち続けられているということがわかる。そういう意味では、彼女や彼女のリスナーはまだ幸運なのかもしれない。この曲は助けを求めている人にこそ聴かれるべきで、もう「生きる理由が欲しい」という意欲すら失ってしまった人には別の何かが差し伸べられる必要があるのだろう。

(2019.12.23) (レビュアー:大島栄二)


ARTIST INFOMATION →


review, 大島栄二

Posted by musipl