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スガシカオ『アシンメトリー』
【誰か別の人がまったく別の視点でどう感じているのかを知ること】

先日ある人の、知らない人の文章を目にして。幼い頃にそうとは知らずかけられた呪いの言葉に苦しめられていて、でもそうとは知らなかったので何に苦しめられていたのかも知らずに苦しく生きていて、大人になったある日その棘のような言葉がそうだったと気付かされ、気付かせてくれた人の言葉によって呪いが解けたと、そういう人の文章。その中で、苦しいころに心のよすがになっていた3つの言葉のひとつとして紹介されていた、ひとつがスガシカオの『アシンメトリー』の歌詞。

   月のない夜をえらんで そっと秘密の話をしよう
   ぼくがうたがわしいのなら 君は何も言わなくていい

強いなあ、と思う。歌詞はこう続く。

   半分に割った赤いリンゴの イビツな方を僕がもらうよ
   二人はそれでたいがいうまくいく

なにげなく、かばう。不利を僕が引き受ける。その些細な引き受けで、救われる何か、誰かが存在する。そのために強い方がその不利を引き受ける。だがスガシカオはこうも歌うのだ。

   自分が思ってるよりも君は強い人間じゃないし
   抱きしめる僕にしたって君と何もかわりなんてない

イビツな方を引き受ける「僕」が、強さの点で何もかわりなんてないのなら、その引き受けの積み重ねは徐々に、しかし確実に「僕」の心に蓄積されるだろう。そしてある日心を押しつぶすだろう。もしかしたらその日は200年後で、だから一生押しつぶされずに済むかもしれない。だがその日まではせいぜい3年くらいしかなく、引き受けてもらっていた「君」にとってのありがたい日々はあっという間に終わってしまうのかもしれない。

その時は、「君」と「僕」の立場を逆転させ、「君」がイビツな方を引き受ければいいのだろうか。それともその時に気付いて引き受け始めてももう遅いのだろうか。

この曲はそこそこに有名だし、僕もリリース当時に既に聴いていた。知っていた。だが件の呪いの言葉の人が聴いたような受け止めなどまったくしていなかった。それは自分自身呪いの言葉に苦しめられてなどいなかったからなのかもしれない。それを幸せだとかなんだとか言って言祝ぐのも罵るのもいいが、人にはそれぞれ生きてきた背景というものがあって、同じ光景を見ても同じことを感じることは稀で、だから曲を聴いてもひとりひとり感じることは違う。しかし時として誰か別の人がまったく別の視点でどう感じているのかを知ることがある。それで何かに気付くことはあるし、その気付きによって自分の感性が磨かれる。磨かれることによって心が軽くなったり、場合によってはそれまで感じることさえ叶わなかった他人の苦しみを察知することができるようになる。それは自分が優しくなれることであり、強くなれることでもある。

当時はキザなにいちゃんという印象しかなかったスガシカオが、時を経て深い求道者のように見えてしまうことが時々ある。いやそれももしかしたら単なる誤解でしかないのかもしれないけれども。

(2019.12.21) (レビュアー:大島栄二)


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review, スガシカオ, 大島栄二

Posted by musipl