<!-- グーグルアナリスティック用のタグ -->

藤田麻衣子『素敵なことがあなたを待っている』【相手の気持ちに共感しつつ、それが徐々に変わっていくことを期待するかのような表情の変化】

心が打ちひしがれてしまっている人に対して「頑張れ」は禁句だと言われているし、僕もそう思う。では「よく頑張ってきたね」はどうなんだろうか。未来に向けて頑張れと強いるのではなく、過去のことを頑張ったねと讃える。文字面は似ているけれど意味合いは大きく違っている。打ちひしがれている人は現在なんらかの失意を抱えていて、失意に至るいくつものプロセスと自分の行動の、いったいどこが悪かったんだろうかということがわからずに、そして現状からの出口を見出せずに辛いままに陥っている。自分のしてきたことが間違っていたんじゃないだろうか。本当に手を抜きまくってきたのなら手を抜くことをやめてちゃんとやればいいだけだ。しかしそれなりに頑張ってきたつもりなのにそれが間違っていたのだとしたら、そこで「頑張れ」といわれても、それまで信じてやってきた頑張りの形を繰り返したところで、また同じ失敗を繰り返すだけだ。だとすれば、頑張れという言葉は、断崖から落ちることがわかっている瀬戸際の自分を後ろから突き落とそうとする手に思えたとしても不思議はない。

しかしこれまでの自分なりの「頑張り」を認めてもらえるのであれば、それと同じことをまたやれば良いのかもしれないと思うことも不可能ではない。人間は自分の努力だけですべてを制御できるわけなどなくて。突然の疫病に自らの健康やこれまで築き上げてきた事業や立場を一瞬にして奪われることもあって。その自分でどうにもできない不可抗力のなかでふらりふらりとなんとか進んでいるのが人生だ。新型コロナのように誰からも理解してもらえる理由なら不遇にも共感を得やすいが、自分しか知らない不可抗力に振り回されている時に、その不運な結果を自己責任と一蹴されたら心のやり場など見つけられるわけがない。だが人はただ頑張れと、心無い励ましをかけるばかりでやるせない。

   心を整理できるまでは
   いつでも時間がかかるね
   焦らないでいこう

焦らないで、次の頑張り方を見つけられれば、人はやりなおすことができる。そのことを自分で信じられるかどうかが重要で、そういう声をかけられる人に自分もなりたいと願うばかり。藤田麻衣子の歌はそういう優しさに満ちている。このMVでは3分50秒あたりからサビの部分で演奏が消えて彼女の独唱になる。この部分の歌詞はほぼ同じフレーズが2回繰り返されるのだが、前半を歌う彼女の表情はけっして笑顔ではなく、むしろ苦悶を抱えながら現状に疑問を呈するような顔つきだ。それが後半になると一気に疑問が晴れるかのように優しい笑顔に変わっていく。最初から笑顔で接するのは、共感などとは違う押しつけの優しさだ。そういう押しつけの優しさが無遠慮な頑張れを連発する。それに対し藤田麻衣子の歌が真に優しいと感じられるのはそういう表情に端的に現れている。自分の明るい気持ちを押し付けるのではなく、相手の気持ちに共感しつつ、それが徐々に変わっていくことを期待するかのような表情の変化。見ていて、聴いていてこっちまで安らぐ気持ちにさせられる。

彼女のプロフィールを見ると、2006年に初CDをリリースし、2014年にメジャーデビューを果たしたとある。8年間だ。若い女性が本当に実直に活動を続けて8年続けるのは、本当に歌が好きでなければできないことだし、歌が好きだとしてもそう簡単に続けていけることではない。数行のプロフィールには出てこない様々な困難があったのだろう。だからこそのこの優しい表現が可能になるのではないだろうか。

(2019.4.4) (レビュアー:大島栄二)


ARTIST INFOMATION →


review, 大島栄二

Posted by musipl