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やくしまるえつこ『わたしは人類』【たとえ絶滅しても自分にはこれがあるから大丈夫】

相対性理論のやくしまるえつこ、昔よく聴いたなあ。昔って、まだ現役なんだけれど、バンドとしての活動はもはや限定的で、個々の活動が今ではメイン。中心的メンバーという言い方はどうかとも思うけれど、ボーカルのやくしまるえつこのソロ活動も並行しておこなわれている。バンドが解散するとボーカリストがソロで活躍するというのはよくあることだが、バンドとして解散しているわけではないし、バンドとしてのオリジナルアルバムのリリースがずいぶん無いからといって、それに代わるように彼女のソロがより精力的になっているというわけでもない。不思議な存在だ。

相対性理論/やくしまるえつこが不思議な存在なのは、これまで大手レーベルや大手事務所に属することもなく活動してきて、それなのにセールス的にも評価的にも非常に高い結果を出してきていて、とくに評価の点でいうとプロの表現者からの評価がとても高い。普通プロからの評価が高い表現というのはマニアックで一般リスナーからは少々難解なものであることが多いが、彼女や相対性理論の場合、むしろ一般リスナーも普通にBGMとして流してリラックスできそうな感じなのがすごいし、そういう点も不思議だなあと思わせてくれる。

このわたしは人類という歌はけっして新しい曲ではなく、各種ストリーミング再生のページによれば2016年に公開されている。昨年にバンドとしてリリースしたライブアルバムにも収録されている。その曲がこの春にこうして動画として公開されたのは、おそらく新型コロナウィルスによって人類がかつてないほど揺さぶられているからだろう。歌詞を見てもわかることだし、このMVのYouTubeページの説明欄にも書かれているように、この曲は「人類滅亡後の音楽」である。そこでやくしまるえつこは「人類は古来より伝達と記録によってその歴史を継続させてきた。そして音楽の歴史もまた、伝達と記録、ひいては変容と拡散の中にある。/この音楽をDNA情報にもつ遺伝子組換え微生物は自己複製し続けることが可能である。いつか人類が滅んだとしても、人類に代わる新たな生命体がまたその記録を読み解き、音楽を奏で、歴史をつなぐことになるだろう。」と書いている。人類が何らかの理由で滅んだとしても、音楽はDNA情報をもとに継承されていくのだそうだ。それが科学的に事実なのかなどはよくわからないし、少なくとも未来の話なのだからそうなるともならないとも、どっちにしても100%であるわけがない。だが、そう思うのは自由だし、そう思う根底には「音楽が継承されていくのなら人類なんてどうでもいいのよ」という軽やかな思想があるに違いない。とても興味深い。

自粛自粛でソーシャルディスタンスでライブハウスも追いつめられてるこの時代。人はパンのみに生きるに非ずとは聖書の中の言葉だが、文化的な何かや人間同士の交流を犠牲にしてでも家に閉じこもるべきというウィルス対策を見ていると、まあ命や健康は大事だけれども、人は必ず死ぬわけだし、命があれば何でもいいってことじゃないよねという僕自身の考え方とも通じる諦念のようなものを感じる。この曲自体がコロナウィルス騒動の以前に作られたものなので、この曲の中での人類絶滅の理由をウィルスに求めるのはさすがに無理があるけれど、どんな理由で絶滅するにしても、絶滅の危機に瀕するとしても、絶滅しさえしなきゃなんでもいいというのは間違いだよという普遍的な考え方には通じている。また、絶滅するかもしれない時に「たとえ絶滅しても自分にはこれがあるから大丈夫」と思えるものを持っている人は、強いんだなと感じさせられた。

(2020.6.20) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl