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城戸あき子『Rain』
【人を緩やかにポジティブにさせていく力を持っている曲】

めっちゃポップ。このローテンポなのにポップ感に溢れているテイストっていったいなんだろう、この城戸あき子って誰なんだろうって数秒考えて、ああああああ! これはcicadaのボーカルの人じゃんという結論に至る。cicada、知ってますか? musiplでは2016年にレビューしたバンドで、ロックというかHIP HOPというか、カテゴライズしづらいバンドなんだけれどめっちゃ良くて、大好きだったバンド。大好きならその後の動向把握してろよと言われそうだけれど、彼ら昨年3月に解散していました。しかしこうしてボーカルの城戸あき子のソロとして活動しているのを知ってそこはかとなく嬉しい。彼女のTwitterを見てみると現在の自粛daysに自宅の庭と思われる場所で毎日縄跳びをしている動画をアップしていて面白い。縄跳び動画投稿の間に昨今の自粛への恨みつらみ的な(言葉ほどに激しさはないけど)投稿が挟まれてて、ほぼすべてのミュージシャン同様に、1日も早く普通に歌える日々が来るのを待ち望む想いと、この状況下でもできる表現へトライする様子とが垣間見える。とはいいつつも宣言が解除されたからといって元の生活にすぐに切り替えられる訳でもなくというもどかしさも見え、ああ、誰もが同じ心持ちなんだなあと思わされる。

この曲は雨が降る中を気にもせずに歩いて行く「君」と、同じ気持ちになれないけれど少し後を遅れて歩く自分の様子が描かれている。ああ、それってまさに今の気持ちと同じだなあと感じる。この歌の2人は恋愛状態か恋愛一歩手前の2人なのだろうし、それを今の新型コロナでどうこうという状況と同じというのは少々乱暴なのかもという気もする。が、雨というひとつの事象に対して躊躇しない人と躊躇する人がいるのは当たり前で、その違いが人の行動を違うものにさせるのも当然なのだが、何かが、その違いを埋めて均質化していくことがある。それが社会であって、人と人の関係なのだろう。その視点で見た時に、雨もウィルスも同じようなものだなあと、その事象下での人の行動も同じようなものだなあと、思ってしまったのである。

城戸あき子のこの歌の、スローで気怠いのにけっして暗くなく、「まあいいか」という雰囲気に満ちたポップ感は他の曲ではあまり体験できないタイプの表現だと思う。雨の中外を歩くことさえ躊躇う人が、雨の中でシンギンインザレインなのである。曲の後半では「久しぶりにひとつの傘差して歩こうか」とまるで雨を楽しむような心持ちになっていく。それはまるでこの曲が持つ「人を緩やかにポジティブにさせていく力」を言葉にして可視化しているようで興味深い。ひとつの傘差して歩くなんて、ソーシャルディスタンスとは真逆の近さだ。でもいいじゃないかという気分にさせてくれる。もちろんその是非は個々の判断だし、そうはいってもやっぱりしばらくの間は距離を保って暮らそうよというのが正論なのはわかっている。しかし、せめて心の中だけでも、ディスタンスを縮めた自由を取り戻したいし、そういう気持ちにさせてくれる力を持った曲だと思う。大好き。

(2020.5.29) (レビュアー:大島栄二)


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cicada, review, 大島栄二

Posted by musipl