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三回転とひとひねり『知らない』【ああ、お経の意味はダイレクトに解らない方がいいのかもしれないなと】

自由だな。AメロとかBメロとかいうものから解放された楽曲だから当然サビもなく。これはBGMを流しながらの詩の朗読なのだろうかとさえ思う。いやむしろ朗読というよりもお経なのではとさえ思う。不思議なことにメロディが詩とリンクしないこういう表現は、歌になっている詩よりもダイレクトにこちらに意味が伝わってくる。法事でお坊さんがお経を詠んでいるのを聞くと、あれはなんと言っているのだろうかと思ったりする。実際父親の葬式の際にお経がまったくわからなくて(当然だが)、なんか悔しくて浄土真宗のお経を片っ端から調べて読んだことがあったが、それでもよくわからなかった。今この曲(?)を聴きながら、ああ、お経の意味はダイレクトに解らない方がいいのかもしれないなとちょっと思った。この曲で歌われている(語られている?)ことは、笑顔とその裏にある不器用さのような、でも不器用なりに器用そうに生きなきゃいけない大変さということなのだろう。先日『聲の形』というアニメ映画を見て、出てくる登場人物がほぼ全員そんな感じの行きづらさと格闘していて、でも時間は過ぎていくし、生き続けなければならなくて、積み重なっていく苦しさが描かれていた。映画だからドラマだから、起承転結的に核となる事件は起こるが、実際の人の暮らしではそうそう事件など起こらずに日々が過ぎて、人は軋轢を巧みにかわしながら生きていく術を発揮していくことを迫られる。軋轢を心に残して蓄積してしまえばそれが闇となる。闇を作らないためにかわした軋轢は彼方に消え去らせなければならないし、そこにもスキルが要求される。この曲はそのかわしていくスキルを発揮しつつ、事件が起こらないように起こらないようにと懸命に生きる心模様を表現していて、その分リアルだ。普通はこんな言葉を友人からダイレクトに聞かされることは稀で、だから、この曲はインナーマインドをあからさまにしているという点でも、リアルで怖い。恐くて素晴らしい。

(2018.9.6) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl