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ルルルルズ『わたしからあなたへ』【想像とは違う何かを持った音楽を、ただ受け入れつつ淡々と】

新作を期待するアーチストというのは何組かいて、ルルルルズはそういう期待をずっとしているバンドだ。新作を期待するというのは、新作を聴いたらきっと満足するに違いないという想いなのだろうし、その想いを強くして聴いてみて期待通りの音楽がそこにあればやっぱり満足するはずだ。しかし、ルルルルズのけっして頻繁ではない新作を聴くたびに、満足というよりは「これか?」という裏切られた感が強くなる。裏切られれば、人は失望し、やがて期待するのをやめるのが道理。しかし、裏切られてもなお次回作への期待は膨らむばかり。一体何なんだろうこれは、と毎回思う。

前回レビューした2年前の『誰もしらない』でもそんなことを書いていた。その時に感じた「過度なアートからのナチュラルなポップへの回帰」というのはけっして間違ってないと思うのだが、今作はさらにやわらかでナチュラルな音楽だった。誰がやってもフィットするような楽曲。言い換えればルルルルズでなくてもいいじゃないか的な普遍性が感じられる。アーチストとしてそれはどうなのという思いもあり、確かめるためにも新作の7曲を全部聴いてみる。

4曲目の『陽のあたる家』の歌詞はこうだ。

□   明日晴れたら終わる宛てのない旅に出かけよう
□   きっと答はまだ見つからなくてもいいさ
□   まだ見ぬ先に本当の君の鍵を見つけよう
□   さあゆっくり話をしよう

□   僕らの暮らす小さな世界はまわり回って
□   気付いたらほら間違いだらけの日々さ
□   きっと答えは誰もわからないそれもいいさ
□   さあゆっくり歩いてゆこう

僕個人の想いでいえば、ルルルルズに対して期待がある。その期待はある種のポップスの王道を行くような音楽性であり、その結果としての高い評価だ。自分が高く評価しているアーチストが他の多くの人たちからも高く評価されるということは、即ち自分の評価基準が正しいということの証拠にもなる。なんでそんなに評価を他と共有したいのか。それは、多くからの高評価が彼らの音楽活動を担保することにもつながるからだ。もちろん自分の先見の明的な部分での欲もあるのだが。

だがそんなことを間違いだらけだといわんばかりに、毎回彼らは予想外の音楽を発表してくる。毎回というけれど、ゆっくりとゆっくりと。今作は全曲アナログレコーディングをしてて、デジタルで簡単にちょいちょいという昨今の傾向とは逆行した面倒臭さ。面倒臭いことをゆっくりと丁寧に。MVでメインキャラクターの女性が走る姿がずっと逆再生で映し出されている点にも彼らの逆行する強い意志が現されているのかもしれない。それが彼らの音楽活動だとしたら、何か別の目的のために逆行する何かをやめさせることは彼らの音楽活動を一旦やめろというのと同じで。だから、やはり単なる1リスナーとしては、毎回想像とは違う何かを持った音楽を、ただ受け入れつつ淡々と楽しむべきなのだろう。

そして今、僕のスマホでは彼らの新作がSpotifyでエンドレス再生されている。何度聴いても飽きることはない。いや、彼らのアナログレコーディングに込めた想いがストリーミング再生でどれほど伝わっているのかはわからないのだけれども。

(2019.11.23) (レビュアー:大島栄二)


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review, ルルルルズ, 大島栄二

Posted by musipl