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RCサクセション『いい事ばかりはありゃしない』【音楽は漠然とした可能性をリアルに感じさせる表現で、次の時代に備えさせるという役割がある】

この曲が収録されたRCのアルバム『PLEASE』は1980年のリリース。僕自身は1982年あたりでようやく耳にする。その後大学に入り上京し、彼らのライブを観に行くようになった。当時はバブルに向かって一直線の右肩上がり好景気で、NTT株で儲けるとかなんとかの話題もあって。さすがに大学生の身分で株に手を出したりはしてなかったが、そんな経済のことなど関心がないアホ大学生であっても、きっと好景気の恩恵を受けていた。毎日のように大きなライブが開かれていた。その多くに企業の協賛がついていて、文化を大切にするのが企業のステイタスみたいな雰囲気があった。税金払うより文化事業に協賛した方が良かったのかもしれないが、そんな大人の事情などとは無縁のアホ大学生にもそういう文化事業協賛のおこぼれは確実にまわってきていた。

そんな経済絶好調のまっただ中に、RCのアルバムにはこういうタイプの曲がいつも含まれていた。もちろん典型的なロックンロールの元気を出させてくれる曲や心軽やかにさせてくれるポップナンバーもある。だが今になって思い返されるのはどこか陰があるダークな曲ばかりだ。この曲などタイトルから陰に満ちている。いうまでもなくRCには売れないドサ回り時代がある。まあ音楽やってるのだから売れないのが基本で、そんな時代にどっぷりと浸かったアーチストが陰の無い表現ばかりでいられるわけがない。しかし当時の社会経験などないアホ大学生にはそんな陰など実体として見えてなどいなかった。大学をちゃんと卒業すればそこそこの企業に正社員として就職して、自分で辞めるなど言いさえしなければ終身雇用で一生安泰みたいな絵空事が普通に信じられていた。いい事ばかりありゃしないという時の「いい事じゃないこと」というのが一体何なのか。それを当時のアホ大学生がどう想像していたのだろうかと考えると、そりゃあもう恥ずかしくて顔から火が噴き出す勢いだ。

歌は人々に現実ではないものを見せてくれる。現実ではあるけれど普通に生きてたらなかなか見えやしない遠くのものを近くにして見せてくれる。その遠くのものをどれだけ生々しく見せ得るかが、表現者の才能だろう。RCの才能は、バブル目前の安楽な時代に生きる、社会経験の少ないアホにも「いい事ばかりはありゃしない」ということを見せた。いや、本当に見せたり意識させたわけではなくて、脳の奥のどこかの引出しにそういう何かをしまい込ませた。浮かれていられるのは今のうちだぞ、今のうちだけだぞ、とでも言うように、脅すような教訓を残した。それが良かったのか悪かったのか。でもそういうことがちょっとでもあったから、いろいろなことにも倒れずにここまでやってこられたのかもしれない。

翻って2020年。日本でも格差は広がり、若者は将来に希望が持てないなどと言われるありさま。夏に五輪があるとかで盛上がりを演出しようと躍起だが、それが終わればもう終わりだぞ的な言説もまことしやかに喧伝されている。具体的な策で希望を生み出すのが政治なら、音楽は漠然とした可能性をリアルに感じさせる表現で、次の時代に備えさせるという役割があるのだと思う。そう考えると、今こそ希望を持ち続けられる何かの表現を、ただの夢物語ではなくリアルな表現を、音楽に携わる表現者には求められるのではないだろうか。もしも忌野清志郎が生きていたらどんな歌を作るのだろうか。その「もしも」には興味があるけれど、既にこの世にいない人の表現を期待するほど愚かなことはない。AI清志郎なんて愚の骨頂だ。どうせそのAI清志郎が語りかける言葉は清志郎とは似ても似つかない秋元某あたりが考え出す言葉に過ぎないのだから。さて、どんな新しい才能が、未来に希望を抱かせるようなリアルを紡いでいくのだろうか。そんなことに微かな期待を抱きつつ、2000レビュー目を超えてなお、これからも駄文を書き続けていくとしよう。

(2020.1.30) (レビュアー:大島栄二)


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RCサクセション, review, 大島栄二

Posted by musipl