<!-- グーグルアナリスティック用のタグ -->

miu『月とお散歩』【孤独感とそれに向かいあいつつも幸福に向かう意識】

情報が限られるアーチストはいる。miuという人がどのような人なのかはよくわからない。Twitterとinstagramのアカウントがあるだけで、そこに人物としての情報はほとんど無い。動画がアップされているので当然のようにYouTubeアカウントはあって、そこのチャンネル登録者数がTwitterよりインスタよりも多い。ああ、なるほど。音楽にとって二次的な情報をアピールして音楽に誘導するという多くのタイプとは違って、一次情報といってもいいYouTubeチャンネルをベースに展開されているのだなあ。マーケティングのためにSNSをやっているアーチストが多い、というよりほとんどの中、これはこれで潔い。

なのでYouTubeチャンネルをいろいろと見てみる。カバー曲の動画がいくつか公開されている。まだ無名のアーチストがYouTubeから広がっていく上でカバー動画は王道ともいうべき重要な方法で、なぜなら、カバーしたアーチストのファンが見てくれる可能性が広がるからだ。Twitterで自分のライブ情報を告知したところで誰が見るのか、というのと較べても、見ず知らずの人が見てくれる可能性はカバー動画の方が圧倒的に多い。

カバーとひと言でいうが、カバーをやろうとしてコピーになることは多い。コピーになる人は、自分のスタイルがない人だ。自分のスタイルがない人だってオリジナルをやることはあるが、そもそも自分のスタイルがないのだから、ただ自分が作った曲というだけで、魅力など生まれるはずがない。世の中にはそういうアーチストはとても多い。ただバンドをやっているだけ。ただアーチストを自称しているだけ。アマチュアのほとんどはそういう状態だといっていいだろう。

このmiuという人のカバーを聴くと、彼女のスタイルが存在していることがわかる。ただ、そのスタイルがチョイスしているカバー曲と合っているのかというと、どうなんだろうという気がする。全部を聴いたわけじゃないので全部がそうだということではないけれど、特徴ある声質や空気感が、すべての曲にマッチするわけじゃないのだろう。それはけっして悪いことではない。どんな曲にも合わせられる幅広さがあるというのは、プロの歌手としては意味のある資質ではあるけれど、アーチストとしてはその幅広さがマイナスになることがある。なぜなら、確固とした揺るがせられない自分が確立していないということでもあるからだ。

そんなことを思いながらこの曲を聴く。とてもイイ。孤独感とそれに向かいあいつつも幸福に向かう意識。そういうものが彼女にはある。ゆったりとしたテンポで奏でられるピアノの音。そこに載る歌声。他の曲ではシンセ的な音色の鍵盤も多用されていて、それはそれで曲によって効果的ではあるけれども、この曲のアコースティックな音の響きが、月夜に散歩している、澄んだ空気を演出していてイイ。想い描く光景は誰もいない夜の街なのだが、この歌が流れることによって、それでも誰かとつながっているんだよという気分になれる。

(2020.7.16) (レビュアー:大島栄二)


ARTIST INFOMATION →


review, 大島栄二

Posted by musipl