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Curtaincalls『いつか』【具体性に欠けつつも、この先がまだあるんだよという淡い期待】

この地を這うような歌は一体なんだろう。多くのボーカリストは自分の音域の高い方の限界に挑むように高いキーの曲を歌おうとする。それは高音が伸びるボーカルは一般的にそれだけで魅力だからだ。他者からみた魅力もそうだが、何より高音が抜けるように歌えた時のボーカリスト自身の達成感がある。人は何をやるにしても達成したいし、満足したい。やりきったんだ自分はと。しかしこのバンドのボーカル颯はそんな高音域バトルなど興味がないかのように歌う。むしろ低音域を出してやるんだと挑んでいるかのようでさえある。Aメロはちょっとだけ歌いにくいようにも感じられる。それはそれでハイトーンに挑むギリギリの震える声が持つ魅力と同じような魅力があっていいんだけれど。

その低音域に挑むかのようなこの歌。暗い。MVでは海辺の防波堤をあてもなくうろつく。やがて浜辺にも足を踏み入れる。このヒールのあるショートブーツで砂浜ってどんなやろって思う。ピンヒールよりは歩きやすいだろうが、やっぱり浜辺はサンダルだよねって思う。おそらく冬の誰もいない砂浜にこんなヒールのある靴で歩いている様は、迷いこんだというイメージだ。歌も、やはり迷いこんでいる人の歌だ。低く地を這うような歌声がその迷い道真っ最中感を増幅させる。その歌が、サビあたりになって比較的高音域に展開していって、伸びる。歌詞もそこから急激に希望を求める内容になっていく。そうか、地を這うようなところから将来の希望を求める曲なのだこれは。

   僕はまだ僕を 諦めずにいる

曲のタイトルも『いつか』だし、いつか辿り着けるはずの何かを求める希望に満ちた歌なのだ。しかし具体的に何かを目指すということではなく、未来にはきっと何かあるに違いないし、自分もそうなれるに違いないという、かなりの確信を持ちつつも具体性に欠ける。その希望の現実にこそ、人は時として絶望するものだが、この曲の「不確かなもの」を願う強さは、ボーカルのシャウトに強く現れているし、キーが多少低めに設定してあるのも、音程的にもっと高い声も出るよなという期待をさせる要因になっているし、すなわち、この先がまだあるんだよという淡い期待をリスナーに感じさせるための演出のひとつなのかもしれない。

(2020.7.21) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl