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The Shiawase『ポテトサラダ』
【手がかからなくなったことに戸惑って苦悩するという愛情の一形態】

子どもが独り立ちした親の気持ちをダラダラと綴っている。めっちゃいい。このダラダラ感がリアル。力が入らないのだ、きっと。それまで忙しく世話する時間が1日の大半を占めていて、それがパタッと無くなる。その脱力感はすごいだろうなと思う。めっちゃいい。現在小学校2年生の親としては、本当に手のかかった幼児期を終えてちょっとずつ自分で出来ることが増えてきて。今年からは家からひとりで学校に出かけ、時間になったらひとりで帰ってくるようになった。手がかからなくなった。この寂しさよ。おいおいひとりでできるんかい。もうちょっと朝一緒に送っていってもいいんだぞ。そりゃあもう10年朝送っていけといわれたら困るけれど、かといってもう今日からは送ってこなくていいからと急に言われても、それも困るんだ。何に困るのかって、心の整理にだ。そんな親の戸惑いなど知らないのだろうし、だから飄々と学校に出かけるのだろう。ランドセルの準備は自分で進んでやろうなどまったくしないくせにな。

この曲で、学校から帰ってきて「今日学校はどうだった」「あのね、かけっこで1番だったよ」というやりとりがある。ここは、ちょっとリアルじゃない。もっとつまらない、ほんとうにつまらない内容のやり取りだったり、場合によってはまともに答えてくれなかったり。それがリアルな日常だ。しかしそんなことを子育てをしていないだろう若いミュージシャンに要求するのは無理だと思うし、そこでマジリアルな子どもとの会話を聞かされても困る。泣くから。

同世代の知り合いと較べると子育てを始めたのが遅いから、そういった知人からは子どもが独り立ちして家から出ていった話を間接的に耳にすることがよくある。それは、愛情の一形態なのだと思って聞いている。愛情がなければ、子どもが出ていったら楽になってせいせいするだけのはずで、手がかからなくなったことに戸惑って苦悩する様には、愛情が詰まっているのだ。この曲にもそんな愛情が詰まっていて、楽になった多くの親が聴いたら泣くだろうし、10年ほど後の自分のそんな状況を想像したら、早過ぎだけど今から僕も泣く。

(2020.8.10) (レビュアー:大島栄二)


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review, The Shiawase, 大島栄二

Posted by musipl