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Stefano Guzzetti.『New Day (Tokyo)』【幻想の日本は過ぎ去ったままで、静謐な斜陽の中に眠りゆく過程にあるのか】

これだけ日本を訪れるための敷居が低くなった今では有名な観光都市のみならず、辺鄙な場にも多様な人や語が溢れていて妙に活気がある。同時に都市部でも少し逸れた場での静寂も然り。ただ、日々刻刻、この日本の片隅で当たり前に生きている人たちの活気はどこかシャボン玉のように淡く弾けそうで覇気がないように思えてしまう気がするのは外からでは見えないより今後、極まってゆくリアリティの窮状が個別に降りてゆくのを予期しながら、それでも、とやっているからかもしれないと思う。親日家たるイタリアのピアニストのステファノ・グッツェッテイの作品を聞きながら、このMVを観ていると、しみじみと戻れない情景の点描画に叙情に胸が疼きもする。同じイタリアの漫画家イゴルトが2015年に発表したグラフィック・ノベル『Japanese Notebooks』に、幻想の日本のモティーフを合わせ紡ぎ合わせた内奥には不思議とデラシネなセンチメントが宿る。

ステファノのピアノとストリングス・トリオの風趣が合わさった典雅な曲にのせて切り取られる緩やかな無数の日本の中枢都市の見慣れたシーンの数々。例えば、3分前後くらいの婦人が車窓から見つめる先には、いつかの幻想の日本は過ぎ去ったままで、誰かのノスタルジアと、仄かな諦念と慌ただしい日常に潜む人や建物、空の表情と、静謐な斜陽の中に眠りゆく過程にあるのか、と想いを馳せる。

そして、斜陽の中にも反射する確か新しい陽の粒を集めて向かうために動いていけない、とも。

(2017.12.7) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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Posted by musipl