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Campanilla『CALL』【淡々と静かに歌うパートでも地響きのように唸るシャウトができるボーカルが好き】

シャウトが力強いボーカルは大好きだ。サビでいかにもここだけはシャウトせねばという感じでシャウトするボーカリストも普通にいいが、淡々と静かに歌うパートでも地響きのように唸るシャウトができるボーカルが好きなんだ。腹式呼吸が歌には必要で、そんなことは言われなくたって誰だって知ってるが、その誰だって知ってることができているボーカリストは必ずしも多くない。ダンスだってそうだ。綺麗なダンスをする人は腰の位置が安定していて、すべての動きが軽やかで無駄がない。体幹がしっかりしているからなのだが、それが意外に難しいというか、できてない人が多い。ダンスが必須なアイドルグループなどでは、ダンス必須でありつつもビジュアル優先なのかそのダンスの基礎ができてなくて、結果として振付けに合わせるために多くの無駄な動きがついてまわって全然軽やかじゃない。そんな人が結構多い。誰とは言わんけど。表現にはいくつもの要素が必要で、でも全部を完璧に出来る人なんていなくて、だからほとんどの基礎ができてないのに魂とかキャラクターで押し通そうとする人も少なくない。そういう人を否定したいというのではない。他が全部ダメでもある1点で誰より抜きん出た才能というか特出した何かを持っていれば優れた表現をすることはできるし、多くの人の評価を得られる。当たり前だ。他とは違った何かを人は求めるのだから。ラジカルでスリリングな人の表現は目立つから、そりゃあ多くの人からの評価を得られるだろう。それはそれでいい。しかし歌手であるのに、その歌手の1番メインとなるべき技能の「歌」のところできっちりとした技量を持っていても意外と人からは気付かれなかったりする。それはその技量のところが比較的地味だからだ。水鳥が水面下で必死に足を掻いているのにも似て、表からは見えにくい。演歌歌手がこぶしを効かせて歌うのは、それが目立つからなんだろうと思っている。普通に上手に歌ったのではそれが上手かどうかも理解されにくい。なぜならプロが競うステージでは上手なのは当たり前という前提だからだ。なので、個性を出すためにもこぶしを効かせることがひとつのテクニックとして重要になったりする。必要ではないのに。

このCampanillaという人の歌は、最初はそんなに強いインパクトなどなくてついつい聴き流してしまいそうだった。でも、ん、待てよ、意外と凄いぞ、と思った。終始力強い。歌っている内容は実に弱々しい心情の哀しみなのに、その弱々しさを強い歌力でこちらに迫ってくる。歌の部分部分で力の強弱、メリハリが付けられている。地味だし、なかなか伝わりにくいだろうけれど、こういう人の歌が日々の近くにあると、何気ない時のふとした瞬間の癒しになると思う。

(2019.12.17) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl