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前野健太『虫のようなオッサン』【歌と演技とどちらがより効果的に表現できるのかという問い】

前野健太、2019年は大河ドラマ出演など精力的な俳優活動が目立った年だった。1曲配信の新曲は出たもののアルバムリリースは無く、ファンとしては少々寂しい1年だったように思う。音楽を真剣にやったところで、万の単位でCDが売れる時代は過去のものになってしまい、音楽でどのくらいの収入になるのかは不透明な、むしろ真っ暗な時代に、武道館やスタジアム級のライブをバンバン成功させられるならまだしも、彼のようなマニアックで玄人好みの音楽をしていては、俳優の方がいいかなあということになったとしてもまったく不思議はない。でも、やはり前野健太の音楽には魅力があり、地味な魅力があり、他の誰かで置き換えられない個性があり、音楽をメインにガシガシ活動して欲しいというファンの勝手な希望がある。

この曲はタイトルからも伝わるように、虫のようなオッサンになりたいという屈折した希望を語っている歌なのだが、その屈折した欲望のステキさがどのくらい多くの人に伝わるのだろうかと思う。このMVはそのわかりにくさを補足するように、曲が始まる前と終わった後に酔いつぶれたオッサンが映し出される。美しい。いや、美しくないんだけれど、オッサンなんて美しくないんだけれど、ビジュアル的にはね、でも、その美しくなさに寄り添うマエケンのポジショニングが、とても美しい。5分をわずかに超えるMVの中で、歌が始まる前に2分半超の無駄なMC。歌詞の中に出てくる「大きな声で叫べないし、小さな声にたいしたメッセージもない」という、オッサンの主張の無駄さともリンクする、無駄なMC。だが前野健太はそこに存在意義を見出すのだし、だからこそ大切な曲の前に2分半もの無駄MCを敢えて組み込んでいるのだろう。美しい。ミュージシャンのMCだからこそ人は一応聞いてくれるトークなのだが、街で普通の虫のようなオッサンがブツクサ言っている話になど誰も耳を傾けない。それはMC部分が一切カットされたライブMVのようなもので、そのカットされるMCには一体どんな意味があるのだろうかと思う。それをこのMVでは敢えて組み込んでいるわけだが、というか、ライブで1分半程度の歌を歌うだけで出演時間が終わるわけはないし、だからこのMVは実際のライブMVではなくて、この1曲を効果的に表現するための演出に基づいたもので、つまり曲よりも前後の3分半こそが表現として重要なのだろう。歌部分ではオーバー気味の画像エフェクトがかけられ、そのせいで前野健太の表情が紫にくすんでしまっている。それも虫のようなオッサンの哀愁を表現する何かなのだろう。曲で表現されている何かを補足するために、このMVでは演技が曲に追加されている。それは、歌と演技とどちらが稼げるのかという視点とは別に、歌と演技とどちらがより効果的に表現できるのかという問いへの、前野健太自身の答えのようでもあり、2018年の終わりに公開されたこのMVが、演技に重点を置いた2019年の活動を象徴していたのかもしれないと、今は思う。

さて、2020年。前野健太の活動はどのようなものになっていくのだろうか。個人的にはもっと音楽を、新しい彼の音楽を発表してもらいたいと願うのだが、さて、どうなることやら。

(2020.1.4) (レビュアー:大島栄二)


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review, 前野健太, 大島栄二

Posted by musipl